2021年9月16日 日の出の頃、母方の祖母が天国へ旅立ちました。103歳9か月という比較的長寿な生涯でした。。過去の記事(2020年)にも記載いたしましたが、90代後半から療養病棟に入り経管栄養(いわゆる 鼻官=鼻チューブ)でしゃべれない+問いかけに対して調子のよい時うなづいたりする程度の状態で5年以上ベットでの生活。(過去に記事にて詳細に記載しております。103歳を迎える祖母 療養病床で生きるには。。)
祖母は、いわゆる” 延命措置 ”で入院するまでの長生きを さらにサポートした事実を踏まえ、寝たきりになった場合の役割について思いをめぐらせる機会をいただき リビングウィルについて自分の意思を固め、家族に伝えて書類を作成することができました。(これも過去に記事にて詳細に記載しております。リビング ウィル~ある日の知人とのやり取りメール)+(さらば延命措置=リビング ウィル~記名押印 完了)
回復の見込みがない状態での鼻官経由による経管栄養が頼りの延命措置ですので、祖母の命の主導者である子供たち(自分の母親と妹弟)は、その時を待つしかなかったと思います。いつだか、自分のサラリーマンではない知人に酒の席で「 治るの? 」と聞かれたときは返す言葉がありませんでした。。(無神経な質問ありがとう と感謝)そうです、そうなってしまったらお金が無くなるか ” その時 ” を待つしかないのです。。

祖母とは、長い付き合いと思っていたのですが初めて知って はっ としたことがありました。それは、祖母の旧姓を初めて確認したことです。御棺に花や遺品を納めているところで誰かが卒業証書を取り出して御棺に収めた時です。
その中学校?高等女学校?実業学校(和裁の学校?)の卒業証書には・・・ 昭和8年卒 上足柄郡酒田 間壁イチ子 とあるではないですか。。祖母は小田原の北に位置する 酒田の出身で祖母の親戚は御殿場などにもいて小さいころ何度か訪れた記憶があり、地元でとれる みかんを親戚の方が届けてくれたりしていたことを思い出します。上足柄郡酒田 という地名は現在の 足柄上郡 開成町になります。神奈川県西部の現在も風光明媚な地域です。
祖母の旧姓。。。覚えている限りでは1度も祖母の旧姓って何だろう?と考えたことがなかったことに葬儀で気づきました。最後の最後、お別れの最終章で その学校の卒業証書に大きく、昭和8年(*)に書かれたものとは思えないくらいハッキリと鮮明に書いてあったのです!その名前(旧姓)が。。
*昭和8年 西暦1933年 昭和三陸地震(3月3日)があった年 現在の2021年から88年前

上部画像中央の黄色っぽい紙が、学校の卒業証書。 たくさんの花、花に包まれて亡骸は天国へと旅立って行きました。2020年 先に天国へ旅立った長男との再会があることでしょう。(関連記事👉喪中の範囲は? 何親等まで 叔父が亡くなった場合)
